いわし削りぶし豆知識
いわし削り節“食文化の広がり”
いわし削り節の食文化の地域性
いわし削り節文化は静岡県全域に広がるものではありません。
県内では旧庵原郡、旧清水市など一部の地域で使われてました。
だからと言って、蒲原に住んでいる人が皆、いわし削り節を使っているという事でもありません。
対して、富士川沿い甲府まで伸びる「塩の道」界隈(身延、南部など)では馴染みが深いものとなっています。
縦に広がるいわし削り節の食文化圏
富士~富士宮~南部~身延~甲府へと続く道は昔から「塩の道」と言われてきました。
そしてそこには身延線が走っており、それを使った行商が営われていました。
その身延線沿線で行商の手によって運ばれたいわし削り節が多く使われるようになり、いわし削り節を使う食文化圏が横方向(東海道)ではなく縦方向(富士川沿い)に広がったと考えられます。
また、山梨県民食の「ほうとう」の出汁にはいわし削り節やいわし煮干しが広く使われているようです。
これは、煮干しがもともと肥料として使われてきたため、いわし出汁を使う文化が根づいているためとも考えられます。
ちなみに、B級グルメの「富士宮焼そば」に使われる「だし粉」はいわし削り節の粉とアオサノリを混ぜたものです。
富士宮焼そばが生まれたのは戦後ですが、「だし粉」が浸透した理由としても、先に述べた行商が関連しているのではないかと考えられます。
※だし粉に関しての補足
最近、いわし削り節を製造するメーカーが少なくなりいわし削り粉の供給が減少しました。
しかし、富士宮やきそばや静岡おでんなどのB級グルメが流行したことの影響でだし粉の需要が急激に伸びたため、いわし削り粉だけでは需要をまかなえなくなりました。
その影響もあり、さば粉を混ぜるところが増えてきましたが、本来の「だし粉」はいわし削り粉とアオサノリを混ぜたものであり、さば粉は使用していなかったようです。
それは、サバよりもイワシの方が安かったということも関係していると思われます。
ちなみに、静岡県沼津市は「サバ節」の産地として有名です。
<参考資料>
・『蒲原削り節の歴史』蒲原商工会より
・『削りぶしについて』益子四郎、1975年
・『川の道』「富士川・釜無川・笛吹川流域の水運」
・『蒲原町史』
- 2020.04.30
- 13:07
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